9月の例会の様子です。
今回もワイワイと楽しい例会でした。
今回は17名の参加でした。
最初に事務局長から事務連絡と記念品の配布等がありました。
最初は三木会員の私の道具箱です。
2月の例会で紹介のあったオスマン帝国の沿岸交易船の第2弾です。
資料の少ないオスマン帝国の商船です。
が、三木会員から様々なHPの紹介など情報ソースの紹介がありました。
各ホームページについて大変詳しい解説がありました。
御興味のあるかたは参考にされたらどうでしょうか。
意外にアッサリしています。
ここらからリギングを始めていきます。
メインマストをたててシュラウドをはりラットラインを付けてい行きます。
ここで独自の治具が活躍します。
ラットラインの間隔と角度が正確にできる治具です。
帆の膨らみをフラワーアート用の紙巻ワイヤーの#30 0.45mmを活用されています。AMAZONで簡単に廉価で入手できます。
ピアノ線といえばモデルカスカンの1/700の艦船模型用のアンテナ線「メタルリギング0.3号 0.1mm」もあります。
実際に作ってみるとチョット大きめの人になったそうです。
ジオラマ製作のテクニックでレジンを使って波を表現されています。
アイロンプリントペーパーを活用されています。
自作のトースカン。
自作のレーザー:綺麗に十字をあてています。
小型の押切の紹介がありました。
アマティからもでていますし、簡単に自作できます。
造船所の紹介がありました。
ベテランの方の作業場は、道具が機能的に配置され、整理整頓清潔清掃と基本厳密に守られ見ていて気持ちがいいです。
ボム・ケッチと呼ばれる巨大な臼砲を据えた攻城船です。
1687年に英国のチャタム造船所で作られた、キール長20m弱の134tと小型の船です。
自衛用にミニオン8門とファルコン2門を船尾側に備えていますが、実際は支援船が守りをホローしました。
というのも、ボムケッチは臼砲の発射の邪魔になるためフォアマストを撤去しています。
従って、操作性のは非常に悪かったようです。
サラマンダーの臼砲は12インチ砲です。口径12インチ=30cmと巨大で砲弾は75kgもありました。サラマンダー単独で行動することはなく必ず支援船が弾薬等を補給していました。
砲身は2口径もない大変短いものです。臼砲の砲弾はこの時代では珍しく炸裂弾です。これで城を攻め落としました。
ボムケッチは元々大砲大国のフランスで発明されました。
陸軍が攻城用に使っていた臼砲を船に乗せたわけです。
1681年にルイ14世の時代にChevalie Renaudシュヴァリエ・ルノー
が発明したと言われています。ラ・フードロヤントLa Foudroyante’クラス(Foudroyante、Bombarde) です。21m120t40名乗船
臼砲ですが、衝撃がものすごく砲耳では支えきれないので大砲と砲台が一体で鋳造されています。
仰角は45度固定で射距離は火薬の量で調整していました。最大で20kg近い推進薬を使っています。
砲の断面を見ると分かりますが、下側の小さい穴に炸薬を入れ、大きな弾丸をその上に置きますが一寸変わったことをします。
炸薬の上に藁を置き、弾丸の間を粘土を詰めています。
推進薬の火が炸裂弾に回らないようにしています。
炸裂弾には当然信管が着きますが、この当時の信管は一種の導火線です。
木製で長さが25cmあり、最長40秒目盛りが刻まれ、カットして調整します。
4000mの飛距離の時31秒要したのでこれらを目安にします。
着火方法にはダブル着火といって、何と推進薬と砲弾に別々に火を付けます。
ですから、炸裂弾は正確には球形ではなく、信管が上になるように、とってが着いている砲弾もあります。
向きを確認しながら75kgの砲弾を装填しました。
タイミングをあせて砲弾の信管に着火と当時に発射薬に着火します。
今から考えると意味不明な作業ですが、流石に、後期になるとこれは不要と気づき、炸薬と砲弾の間の粘度は省略され、シングル着火になります。
臼砲の口径ですが、フランスでは12インチ、英国では10インチと13インチが多く使われました。
100kg近い重たい砲弾ですが、この砲手は4~6人と意外に少人数です。
発射の衝撃は大変なものがありますから、構造は大変丈夫に作られていました。
フランスと英国では何故か構造が異なります。
出典
NAVAL ARTILLERY French navy 1650-1850
The Age of Evolution, 1523-1715 (v. 1) (History of English Sea Ordnance)
余談ですが、今28万の法外な値段になってますが、私は数千円で入手しました。念のため・・・・
まだまだ話は続きますが、今回はココまでです。
次回をお楽しみに(^^)/